江口渙関連エントリー

江口渙「たたかいの作家同盟記 上巻」 多喜二の思い出

御影さんから江口渙「たたかいの作家同盟記 上巻」の多喜二に関する紹介がありました。以下に転載します。 山田清三郎の第2回プロット大会での多喜二の挨拶の思い出を紹介しましたが、江口かんの思い出も紹介します。 ...

江口渙「たたかいの作家同盟記 上巻」 多喜二の思い出

本・『わが文学半生記』==江口 渙 著

この本は作家・江口 渙(かん・1887~1975)による回想文学の傑作とされる。 大正から昭和にかけての多彩な文学者との交流が精彩に富んだ筆致で描かれる。登場する人名はここでは挙げきれないが、夏目漱石、芥川龍之介、菊池寛、久米正雄、宇野浩二 ...

本・『わが文学半生記』==江口 渙 著

『江口渙の部屋へようこそ』 作家小林多喜二の死などを描い ...

本の泉社から出版された小木宏案内人/礪波周平写真の『江口渙の部屋へようこそ』に、作家小林多喜二の死などを描いた「奇怪な七つの物語」が収録されているとありました。主要作品の選集とありますが ...

『江口渙の部屋へようこそ』 作家小林多喜二の死などを描い ...

小林多喜二 虐殺された日

... 33年2月初めの出来事として、江口渙は警視庁特高課の中川成夫警部の、「われわれは天皇陛下の警察官だ。共産党は天皇制を否定する。つまりは天皇陛下を否定する。おそれ多くも天皇陛下を否定するやつは逆賊だ。 ...

小林多喜二 虐殺された日

[アナキズム運動史]1925年1月20日 後藤謙太郎の死

... 江口渙氏などが付き添ってくれていたが、翌々日午後意識が回復しない ままに死んだ。一月二十四日で、幸徳たち 大逆事件 の記念日だったのである。 ... 後藤君の方のいっさいは江口渙たちにしてもらった。後藤君は前いったように軍隊への宣伝事件で捕え ...

[アナキズム運動史]1925年1月20日 後藤謙太郎の死

江口渙とは?

江口渙(えぐち かん、1887年7月8日-1975年1月18日)は、日本の小説家である。東京生まれであるが、出身地は父の故郷である栃木県那須烏山市 烏山町である。父の江口襄は陸軍の軍医で、東大医学部で森鴎外と同期であった。
 三重県立宇治山田高等学校 三重四中から第四高等学校に進学するも父と進路をめぐって対立し、四高を退学、第五高等学校にはいりなおす。この時期には俳句に没頭し、河東碧梧桐に認められる。1912年、東京帝国大学英文科に進学する。この年、雑誌『スバル (文芸雑誌) スバル』に短編「かかり船」(後に「赤い矢帆」と改題)を発表し、作家として認められる。このころから佐藤春夫・広津和郎・宇野浩二たちとの交友がはじまる。また、夏目漱石の知遇をうけ、漱石山房をしばしば訪れる。また、芥川龍之介との交流もはじまる。1917年に大学を中退する。このころから社会の矛盾に目を向け、社会主義や無政府主義に近づく。このころの作風は、社会の矛盾を告発するようなものが多い。「馬車屋と軍人」(1917年)「労働者誘拐」(1918年)がこの時期の作品である。

江口渙の詳細